天橋立がブラタモリで放映!完全再現e-Bikeコースをご紹介します。
なぜ人々は天橋立を目指す? その答えをe-Bikeと一緒に探ります。
令和3年1月9日放送のブラタモリで、天橋立が紹介されました。地元も納得の面白い所をご紹介してくださいました。このまま最高のツアーコースになるほどです。が、このルートを車で行くことは不可能ですし、歩きや普通の自転車で行ってもヘトヘトになってしまいます。今回はタモさんが行ったコースをそのままラクラク楽しめる、e-Bike旅をご紹介いたします。
時間の目安:約4時間
移動距離12km
スタート:天橋立駅⇒e-Bikeレンタル
まずはこの後の移動を楽にするためにも、天橋立駅前の「智恵くらべ」でe-Bikeを借りましょう。
ちょっと長めの行程なので、車種は断然「GIANT」シリーズがオススメです(1日3500円)。
手荷物は智恵くらべ様で借りた方は預かってもらえます。
天橋立ビューランド
番組冒頭の場所、雑誌でもよく見る天橋立「飛龍観」。股のぞきで見ると、まるで龍のように見えることからそう呼ばれます。
しかし、「日本三景」とうたわれた景色は、この場所からのものではありませんでした。
さて、それでは天橋立の砂州を渡って反対側に行きましょう。砂州は自転車は通行可能で車で行くよりショートカット、e-Bikeなら10分ちょっとで行けます。
成相寺古参道
日本三景のいわれは、1689年に貝原益軒が記した旅行記『己巳紀行』に「・・・そして府中から成相寺へ登ることになり、その坂の途中で、此坂中より天橋立、切戸の文珠、橋立東西の与謝の海、阿蘇の海目下に在て、其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也、・・・」というところから登場します。
この坂というのが、傘松公園リフトカー乗り場の隣にある成相寺への参道、本坂道と言われています。話中でタモさんは登りたがりましたが、現代人には厳しすぎる道ですので、同様にケーブルカーを使いましょう。
※自転車置き場(無料)もございます。
傘松公園ケーブルカー
かつては「天橋立鋼索鉄道」として大正時代に作られたケーブルカー。これが天橋立が近代的な観光地になるマイルストーンでもありました。
ここから見る天橋立は、まさに「天に立つ橋」。古代の人は、この不思議な地形を天上と人間界を神々が行き来した、神の御業と信じました。
番組ではカットされましたが、麓の「元伊勢籠神社」と「真名井神社」はまさに古代からの天橋立信仰の中心地でしたので、是非お立ち寄りください。
平安時代の古道
傘松ケーブルカー乗り場から西に延びる、国道の一本北の軽自動車で何とか通れる道路、これが平安時代からある旧街道と言われています。
1.5kmほどですので歩くと少しかかりますが、e-bikeならすぐです。街道沿いに残るお地蔵さんや昔の跡、眼下に時折見える海、田畑がとても趣深い道です。
丹後国分寺跡
街道の先には、かつて丹後国の中心機能が置かれた、国分寺跡があります。ここには政庁や五重塔が建っていたとされます。
ここから見る天橋立は、真横に一文字に見え、天平観と呼ばれています。
国分寺跡の隣に建つ丹後郷土資料館で、詳しい歴史を見れるので、是非お立ち寄りください。
天橋立自転車道
国分寺跡のすぐ下に、広大なブドウ畑とワイナリーがあります。そこを抜けると、日本で一番海に近い自転車道と言われる、天橋立ちりめん自転車道が伸びます。ここをまっすぐ行くと溝尻の舟屋になります。
ちなみに、天橋立ワイナリーはワインもさることながら、ワインパフェやワインアイス、ワインゼリーなどこだわりのスイーツが人気です。疲れたら是非。
天橋立神社
再び天橋立の砂州に入ります。砂州の中には海に囲まれながらもなぜか真水が湧き出る「天橋立神社」(日本名水百選の一つ)があります。
そしてこの神社の参道と鳥居は、なぜか海の方を向いています。そう、天橋立の南側の付け根部分は、江戸時代後期になって伸びたもので、かつてはここは舟で参っていたのです。
天橋立駅裏
天橋立駅の裏にある池は、どんぶちと言われ、かつての海のなごりです。大正時代に鉄道が引かれる前、線路より北は海であり、智恩寺は海に浮かび、海沿いには溝尻と同じような舟屋が並んでいました。
天橋立が観光地になるにつれ徐々に埋め立てられ、今の形になりました。
神秘の地から近代的な観光地になった天橋立。そのディープなストーリーを、是非e-Bikeでめぐってみましょう。
レンタルでも回れますし、より深く知りたい方はガイド付きツアーで。
ガイド付きツアーお申し込みの際、「ブラタモリのルートを回りたい」と備考にお書き添え頂ければ、それに沿うコースでご案内いたします。
一般観光向けのおすすめスポットやモデルコースはこちらをご覧ください
【春、密を避けて】天橋立おすすめスポット17選&モデルコース
さらにディープな天橋立旅【作成中】
番組は尺もあったでしょうが、さらに天橋立の深い歴史とストーリーを体感するなら、やはり宮津市街は外せません。
古代から中世にかけて、丹後の中心は天橋立北部でした。
しかし織田信長の命を受けた明智光秀・細川藤孝軍が丹後を攻略した後築いたのは、天橋立南東部にある水城、宮津城でした。
それは内陸向きに発展してきた天橋立が、日本海向けに開かれた時でもあります。毛利攻めと日本海交通の覇権を握るために信長によって築かれた宮津城は、江戸時代も引き継がれ、北前船と丹後ちりめんの全盛とともに北近畿有数の都市として発展を遂げます。
今も三上家住宅や旧遊郭街に、その繁栄の名残があります。是非、e-Bikeで五感で感じてください。